hkgk6912さんからの投稿
おっぱいが好きだ。
それは相当奇特な人以外、全世界の男が口を揃えて言うだろう。
何故ならおっぱいは柔らかく、弾力があり、それでいて押し込んだらしっかりと指や顔を包み込んでくれる。おっぱいは受け入れてくれるのだ。
しかしそれはおっぱいだけ。引き締まった身体は確かに美しいが、それだけである。
豊満な脂肪が身体を覆うぽっちゃり女子たちは全身にその柔らかさをまとっている。足も、腕も、首も、ふとももも。痩せている女性が胸部にしかない魅力を、身体全体で表現しているのだ。世にはパイズリなどという言葉があり男性の心を魅了しているが、ふくよかな身体は胸だけに留まらない。無限とも言える可能性で我々を受け入れてくれる。これにエロスを感じずに何にエロスを感じると言うのだろうか。
趣味嗜好は人それぞれだが、くびれや臍にはない新しいエロティシズムがそこにはあると私は考えている。
また私がもっともぽっちゃり女子の魅力だと感じるのは大きなお尻である。お尻はおっぱいに比べて軽視されやすいと常々感じているが、我々が大好きな女性の下半身である。これに興奮するのもいたしかない。
そもそも柔らかい、二つに別れている等お尻にはおっぱいと通じるところがある。しかしただ一点、根本的に異なるのは胸を揉んでいる間は常に女性にその挙動を見られなければならないが、後ろについているお尻にはそれがない。女性は視界の外にある自分の身体がどのような目で見られているかも分からないまま、女性の身体の最も重要と言っても過言ではない下半身をまさぐられているのである。それは今まで女性が視界の中で「身体を触らせてあげる」だった状況から「身体を触られている」状況への転換であり、主導権の移動を意味するのではないだろうか。だがスレンダーな女性ではその最もエロスであるお尻に指を埋めることさえ出来ないのだ。これではお尻の触りがいに欠けてしまう。大きなお尻を好き放題しながら下半身を自由に出来る。これもまた、ぽっちゃり女子の重要なポイントではないだろうか。
最後に少しアカデミックな話題に振らせていだくと、かの文豪である安部公房は「砂の女」の中に豊満な女性を描き、主人公がそれに魅了されることで母胎への回帰を表現している。すべてを包み込む柔らかな肉体に顔を埋め、日頃のあれこれを忘れて思う存分甘えてみるのもまた男性本来の願望なのではないかと思うのだ。(銀河鉄道999でメーテルに恋する鉄郎のように)